目次
1.作品概要
収録作品
『ガラスの麒麟』
『三月の兎』
『ダックスフントの憂鬱』
『鏡の国のペンギン』
『暗闇の鴉』
『お終いのネメゲトサウルス』
6つの短編からなる連作ミステリーです。表題作の『ガラスの麒麟』は1994年に発表され、1995年に第48回日本推理作家協会賞(短編および連作短編集部門)を受賞されています。残りの5編は受賞以降に発表されており、『お終いのネメゲトサウルス』は書き下ろしです。
タイトルはいずれも動物の名前を含んでいます(「ネメゲトサウルス」は検索したところ「ネメグトサウルス」という恐竜が出てきました。同じものを指すのか、ネメグトサウルスをベースに創作された生き物なのかは分かりません)
2.あらすじ
『ガラスの麒麟』
2月のある日、17歳の女子高生・安藤麻衣子が通り魔に襲われて命を落としました。その日から様子がおかしくなった麻衣子の友人・野間直子。直子は自分を安藤麻衣子だと言い、麻衣子が襲われた時の様子を知っていました。
『三月の兎』
3学期の終わりが近付いた3月のこと。麻衣子達の学年の生徒が通学路で老婦人にぶつかり、婦人の持っていた高価な壺を壊してしまうという事件が起こりました。麻衣子の担任・小幡康子は自分のクラスの生徒を疑いますが、直子は「うちのクラスの子じゃないから心配いらない」と伝えます。
『ダックスフントの憂鬱』
エイプリルフールの朝、大宮高志の幼馴染の飼い猫が足に刃物による傷を負いました。他にも同様の被害を受けた猫がいる「連続猫切り魔事件」でしたが、狙われたのは足ばかり、警戒心の強い野良猫までもが被害を受けているなど不自然な点が見られていました。
『鏡の国のペンギン』
5月、学校では安藤麻衣子の幽霊が出ると言う噂が立っていました。トイレに残された謎の落書き、そしてある生徒に忍び寄る存在…全ては麻衣子の事件と繋がっていました。
『暗闇の鴉』
6月、麻衣子の通っていた高校の卒業生・窪田由利枝の元に麻衣子から手紙が届きました。書かれていた内容は由利枝本人と神野、そして神野から話を聞いた麻衣子しか知らないことでしたが、亡くなっている麻衣子に手紙が書けるはずがありませんでした。
『お終いのネメゲトサウルス』
7月の終わり、麻衣子の事件はまだ解決していませんでした。野間と神野が麻衣子の母親の元を訪ねた帰り道、神野の様子がどこかおかしく…
麻衣子を殺したのは誰だったのか、何故狙われたのは麻衣子だったのか。事件の全容が明かされていく一編です。
3.主な登場人物
安藤 麻衣子(あんどう まいこ)
高校2年生の少女。ある日通り魔に襲われて亡くなってしまう。
美しく聡明で恵まれているように見えるが、一方で内面の不安定さを抱えていた。
生きている姿はほとんど登場しないものの本作の主人公と言ってもいい存在。
野間 直子(のま なおこ)
麻衣子のクラスメイトで友人。
中学生の時に母親を亡くしており、父親とふたりで暮らしている。
野間(のま)
直子の父親でイラストレーター。
大宮もとい小宮とは学生の頃からの友人で、プライベートだけでなく仕事でも長い付き合いである。
大宮(おおみや)
童話や詩を扱う雑誌『幻想工房』の編集長。本名は大宮だが小柄なため野間をはじめ周りからは小宮と呼ばれている。
妻・静香(しずか)、中学生の息子・高志(たかし)との3人暮らし。
神野 菜生子(じんの なおこ)
麻衣子の通っていた高校の養護教諭。麻衣子も直子も保健室の常連だった。
本作の探偵役として様々な謎を解き明かしていく、もうひとりの主人公のような立ち位置。
事故で足を悪くしている。
小幡 康子(おばた やすこ)
麻衣子と直子の担任の英語教諭。
4.騙されたと思った瞬間(ネタバレあり)
『ガラスの麒麟』
» 以下ネタバレあり
通り魔事件は2日連続で起きていました。野間直子も通り魔に狙われたひとりだったために、安藤麻衣子が襲われた時の様子を知っていたのです。
本作の時系列をまとめると以下の通りです。
- 2月21日:直子、帰り道で通り魔に狙われるもなんとか逃げおおせる。帰宅後に発熱。
- 2月22日:直子、学校を休む。野間、小宮から『ガラスの麒麟』の原稿を受け取る。麻衣子、帰り道で通り魔に襲われ命を落とす。救急車とパトカーのサイレンを聞いた直子は自分が刺し殺された、と話す。
- 2月23日:朝からテレビでは麻衣子の事件を放送している。直子、自分が安藤麻衣子だと言う。野間、小宮に直子の様子がおかしいと伝える。
- 2月24日:小宮の妻・静香が野間父娘を訪ねる。直子がおかしくなったのは安藤麻衣子の幽霊ではないかという話になる。
- 2月28日:麻衣子の葬儀。神野菜生子、野間から直子の様子を聞いて直子もまた通り魔に遭っていたことに気付く。直子、野間に自分に起きた出来事を打ち明ける。
本作ではこの年を閏年とすることでふたつの通り魔事件を途中までひとつに見せています。まず冒頭、ひとりの少女が通り魔にナイフを向けられるシーン。
明日は二月二十二日、出席番号に二のつく彼女が当てられる確率は、極めて高い。どうしても予習をしておく必要があった。
(本文より)
このシーンははっきりと2月21日であることが示されています。続いて麻衣子の葬儀を描くことで麻衣子が襲われたシーンだと思わせていますが、実際は直子が襲われたシーンだったのです。
出席番号に2が付くというのも上手い表現ですね。野間直子がどうしても予習をしておきたかったのは自分が「22番」だったから(他の20番台や「32番」の可能性もありますが)かと思いますが、このシーンを安藤麻衣子だと捉えても出席番号「2番」として読むことが出来ます。
そして麻衣子の葬儀の日にちについてはこのように書かれています。
あの事件、とは無論、安藤麻衣子が何者かに殺された出来事を指している。事件が起きてから、もう六日経つ。二月は残すところ、あと一日だけだ。
(本文より)
2月があと1日というこの日、普通に読んでいると2月27日だと認識するでしょう。冒頭の2月21日から6日経つことからもその認識は正しいと思えてしまいます。
ところが実際は閏年の設定であるため2月は29日まで、麻衣子の葬儀は2月28日のことでした。
作中で日にちを示している表現としてもうひとつ。
その菓子入れは、その場の勢いで幾度目かの禁煙を宣言した私に、バレンタインデーの贈り物がてら、直子がプレゼントしてくれたものだ。
(本文より)
(中略)
それからもう一週間ばかり経つ。我ながら感心なことに、禁煙は今のところ守られている……まあ、大体のところは。
この後、野間と小宮の電話、そしてサイレンの音、取り乱す直子…と描かれていきます。麻衣子が襲われた日の描写であることは明らかですが、「バレンタインデーの贈り物をもらってから1週間ばかり」というのが、2月22日を2月21日だと思わせることが出来る表現になっています。
最後に、麻衣子の葬儀の際の神野と野間のやり取りを挙げておきます。
神野先生は、大きな眼でじっと私を見上げた。
(本文より)
「あの事件があった日からじゃありません? 直子さんが登校しなくなったのは」
(中略)
ともあれ神野先生の指摘は正しい。直子に異変が起きたのは、安藤麻衣子が殺された、まさにその当日のことだった。
私ははじめこの会話から麻衣子が亡くなったショックで直子が体調を崩して学校を休んでいるのだと思いました。冷静に考えると、麻衣子が襲われたのは夜であり、事件を受けて直子が休むとしたら「あの事件の翌日から」のはずなのでこの解釈は成り立ちません。
「直子に異変が起きて学校を休みはじめた」のではなく「直子が学校を休んでいる間に異変が起きてそれ以降も休み続けている」ことはこの続きを読めば分かりますが、ちょっとした表現に引っ掛けられていたのだなと感じるやり取りでした。
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『鏡の国のペンギン』
» 以下ネタバレあり
本作は何者かが麻衣子の同級生・成尾さやかの後をつけており、その視線をはっきりと認識していないものの恐怖を感じたさやかが麻衣子の幽霊を生み出した、という話でした。
この「さやかの後をつけていた人間」の描写が上手いなと思いました。
まず冒頭、その人物が麻衣子、直子、さやかの写った写真を見ているシーンからはじまります。
三人とも、タイプこそ違っているが、若さが保証してくれる以上にはきれいだった。とりわけ真ん中の少女は、飛び抜けて美しい。いや、美しかったと言うべきなのだろう。
(本文より)
〈彼〉が殺したのは、まさにその少女だった。
〈彼〉は向かって右側に写っている少女のことも知っている。かつて〈彼〉が殺し損ねた娘だ。もう一度狙うのは……どんなものだろう?
このあとには直子には顔を見られているのだからもう一度狙うのは危険だ、といった文章が続きます。
そしてもうひとつ、さやかの言葉に対する「後をつけていた人間」の反応を挙げます。
確かに信じられなかったに違いない。麻衣子の死に顔は、恐怖よりも苦痛よりも、ほとんどシンプルなまでの驚きに彩られていた……。
(本文より)
いずれの内容も麻衣子を殺した通り魔の視点に見えますが、実際にさやかをつけていたのは通り魔への復讐を考えていた麻衣子の母でした。
麻衣子、直子、さやかの写った写真から次に襲われるのはさやかではないかと考え、彼女の近くで通り魔の出現を待っていた麻衣子の母。直子が通り魔の顔を見ていると知っていることも、麻衣子の死に顔を見ていることも、母親であれば当然のことです。
また冒頭の〈彼〉という書き方は、このシーンの人物が通り魔であるようにも、通り魔は第三者であるようにも受け取れると思います。
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ミステリーとしても魅力的な本作ですが、少女達をはじめとした登場人物の繊細さと痛み、そこからの再生が描かれた作品でもあります。殺人事件からはじまる物語ですが、登場人物のそれぞれに取って救いとなるような結末には、加納さんの他の作品とも通じるあたたかさが感じられました。