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舞台と原作の比較:ミュージカル『レベッカ』

投稿日:2019-05-01 更新日:

目次

  1. 作品情報
  2. 舞台を観る前に原作を読んだほうがいいか?
  3. 舞台と原作の比較
 

1.作品情報

舞台:ミュージカル『レベッカ』

製作:東宝
観劇:2019年1月@シアタークリエ

原作:『レベッカ』(Rebecca)

著者:ダフネ・デュ・モーリア
私が読んだのは茅野美ど里さん訳の『レベッカ』です。

レース模様を背景に黒と金で描かれたアイテム、『レベッカ』の世界観が感じられる美しい表紙と思います。

また『レベッカ』の日本語訳としては他に大久保康雄さんによるものもあります。

2.舞台を観る前に原作を読んだほうがいいか?

私自身は舞台を観てから原作を読みましたが、「原作を先に読んだほうがよい」と考えます。

※以下、登場人物などの名前表記は基本的には舞台に準じたものとします。

理由1:ミステリーをどのように楽しむか

原作はサスペンス要素のあるミステリーです。「舞台を観る前に原作を読んだほうがいいか?」という問いを「展開を知った上でも楽しめるのは原作か?舞台か?」という視点で見ると、展開を知った状態でより楽しめるのは舞台ではないかと思います。
答えの分かっているミステリーを読むのは気持ちが乗りにくいものと思いますが、舞台では音楽やセット、衣装などを楽しむことも出来ます。
特に音楽は素晴らしく、ダンヴァース夫人の歌う『レベッカ』はこの1曲(複数回登場します)だけでも観る価値があると言っても過言ではないと感じました。

一方「最初の1回の衝撃を原作で感じるか?舞台で感じるか?」という視点で見ると非常に悩ましいです。舞台のハラハラドキドキ感もやはり最初の1回は特別だと思います。

理由2:文章から想像される情景

原作(茅野美ど里さんの翻訳)の文章がとても美しく、そこから情景を想像する楽しみがあるかと思いますが、舞台を先に観ているとどうしても舞台に引っ張られてしまうので、この点でも原作を先に読んだほうがいいのかと思いました。
逆に捉えると映像(舞台)が情景理解の助けになるとも言えるので、難しいところではありますが…

例えば、舞台では屋敷内のシーンで常にレベッカの絵が中央に掲げられており、今もマンダレイから消えないレベッカの影を視覚で感じることになります。顔が隠されてはいるものの在りし日のレベッカを想像させられます。
一方で原作では人々の言葉や行動、レベッカの残したもの、「わたし」のモノローグ…と随所にレベッカの影がちらついています。

» 以下ネタバレあり

物語の最後、舞台でははっきりと炎に包まれるマンダレイが描かれています。
一方原作では(恩田陸さんも解説で触れていますが)、マンダレイが燃えている、とは一言も書かれていません。

日の出の最初の赤い筋のような光が、少しずつ空に広がっていく。
「オーロラが見えるのは冬よね? 夏じゃなくて」
「あれはオーロラじゃない。マンダレーだ」

(本文より)

そして海からの潮風に乗って、灰が飛んできた。

(本文より)

この文章、そして物語冒頭のマンダレイはもうないという描写からマンダレイが火事で失われたことが想像される…はずが、舞台を先に観ていると燃え盛るマンダレイを思い浮かべながら読むことになるのです。

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3.舞台と原作の比較

物語の流れは舞台も原作も変わりはありません。
「わたし」がマキシムと出会ってから結婚するまでにふたりが過ごした時間や、マンダレイでの日常については原作の描写が充実しています(舞台には時間の制約があるので当然ではありますが)

気になった点のひとつに花があります。
舞台では「忘れたい 忘れない カトレアの香り」と歌われるように、カトレアが物語の随所に登場しレベッカを象徴する花となっています。

カトレア
(カトレア)

一方原作ではツツジ、ライラック、バラ、アザレアといった花が登場しますがカトレアは見られません。

春を待つ満開のアザレア
(アザレア)

洋ランの女王とも呼ばれるというカトレアがレベッカのイメージにぴったりだった、ということでしょうか。

ふたつ目に仮面舞踏会のシーン、舞台ではヴァン・ホッパー夫人も呼ばれていますが、原作ではそのような描写は見られません。物語の進行上ヴァン・ホッパー夫人を全く出さずに進めることは難しく、出したら出したで冒頭だけというのも…といった考えからこうなったのでしょうか。
また舞台では仮面舞踏会のシーンは「わたし」が引き起こしたトラブルで終わりますが、原作ではその後、客人達の対応をする姿が描かれます。

みっつ目に結末に関して。

» 以下ネタバレあり

原作では最後、マンダレイが炎に包まれるより前のタイミングでダンヴァース夫人がマンダレイから姿を消します。冒頭で「わたし」がダンヴァース夫人は今どうしているだろう、と考えており、その後の消息は不明のようです。
一方舞台の最後では燃え盛る屋敷にダンヴァース夫人の姿を見ることが出来ます。屋敷に火を放ち、共に死んでいったとも取れる結末です。

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最後に主人公の名前について。原作でも舞台でも主人公の名前は明かされず「わたし」となっていますが、原作ではマキシムは「わたし」の名前を呼んでいます。

ファーストネームで呼ぶ特権を、名誉に思うほどわたしはまだ子どもだった。彼のほうは最初からわたしをファーストネームで呼んでいたのだが……。

(本文より)

「わたし」があくまで「わたし」であることは、前妻「レベッカ」との対比としては大きな効果があると思いますが、舞台上で「わたし」が何度もマキシムの名を呼ぶのに対し、マキシムが一度も「わたし」の名を呼ばないのには違和感というか、寂しさと一抹の不信感を感じました。

★他の作品についてはこちらから→舞台と原作の比較:舞台を観る前に原作を読んだほうがいいか?

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